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月刊タイムス2018年10月号 鈴木邦男 

 

 

連載/三島由紀夫と野村秋介の軌跡        第142回           鈴木 邦男

疑念消えぬオウム13人の処刑

 

 

 なおざりにされた死刑執行への根源的問いかけ

 

 ここまでやるのかっと思った。オウム事件の死刑囚に対する死刑執行だ。7月6日、麻原以下の7人の死刑が執行され、7月26日に残りの6人の確定死刑囚が死刑を執行された。これだけ短期間に、これだけ大量に処刑されたのは初めてだ。それも国会が休日で、日本中は風水害、台風で大混乱していた時だ。普通ならば大問題になるだろうが、風水害の被害の方が心配だ。オウムの処刑などすぐに忘れ去られるという目論見があったのだろう。実はこの一ヶ月前、オウム事件について「精神障害のある麻原を処刑してよいのか、医者にみせて治させてからだ」という集会を開いた。そんなことに面倒くさいと考えたのか。そんな国の思いがあったんだろう。一気に全員を殺した。こうなるともう議論もなくなる。でも、それでいいのか。オウム事件は今でも謎をはらんでいる。「なかったことだ」「もう終わったことだ」としていいのだろうか。 

 

 

死刑執行に怯える林眞須美の心境

 「オウムの次は私か。呼ばれるたびに恐怖」という記事が7月6日付の産経新聞に出ていた。和歌山カレー事件で死刑を宣告されている林眞須美さんが心境を述べている。

〈次は私なのではないかと思うと食事ものどを通らなかった。21日に大阪で開かれた林死刑囚の支援者集会。オウム真理教の元教祖、麻原彰晃元死刑囚執行時(63)、本名松本智津夫ら7人の死刑が6日に執行されたことへの心情を吐露した、林死刑囚のメッセージが読み上げられた〉

 この21日の集会には僕も参加している。森達也さんが講演し、林健治さんも車イスで来た。森さんも対談した。長男も一緒に来て森さんと対談した。新聞に出ていた。

〈長男は6月下旬、収容先の大阪拘置所で、林死刑囚と面会した。林死刑囚は事件への関与を「やっていない。やる意味がない」と否定。遺族らに対しては「同情している。気持ちは十分理解しているつもり」としながらも「真実を見てほしい」と語ったという。

 死刑確定後は、拘置所の係員に呼び出されるたびに死刑が執行される恐怖を感じていたという。「部屋から呼び出されるときは震えるほど怖いと話していた〉

 7月21日の集会では、長男が詳しく母親の様子を話していた。彼は先日NHKの番組に出ており話していた。とてもいい番組だった。それで「この前のテレビ見ました。よかったですね。初めてですがよろしく」と言った。そしたら、え? 鈴木さんには何度も会っているよ、と言う。

 以前は何度も家で会ってたことがあるという。家族以外とも会っている。そして両親が、捕まっているというのに、子供たちは明るくしっかりしている。それのアンバランスさは意外だった。

 7月6日に麻原ら7人が処刑されたあとすぐに残りの死刑囚6人が処刑された。このことに林さんはもっと驚いたことだろう。13人全員死刑したと「オウム処刑の恐怖」が再び襲ったのだろう。

 

 

冤罪を仕立てる国民の意識と欲求

  健治さんは言っていた。

「私らは金のために保険金サギをやりました。だが金にならない人殺しはしません」

 と言ってた。「悪の論理」だが筋は通っていると思った。一般的には「保険金サギをやるからには殺しだってやっているだろう」と思う。受刑者の「悪の論理」で、彼らは、殺しはやっていないと言った。まさしく「悪の論理」だが筋が通っていると思った。

 又、祭の日に、カレーを食べた人がなくなった。もし、彼らが関与していたら「俺も被害者だ!」とか言って動く、被害者として病院に運ばれ、保険金をもらっただろう。あくまでも悪の論理だがそう思った。

「無念の人」「冤罪の人」と聞くと、それだけで純心な人かと思う。しかし、それは小説の中の世界だと思った。警察が目をつける人はそんな人ではない。いろんな悪い噂もあるが、まだ捕まってない人を見つけてくる。そして、事件が起きた時、差し出される。布川事件の二人などはその典型的な例だ。二人は強盗に入り、騒がれ殺した。そして、外で目撃されたことで二人は捕まった。二人は、でも冤罪を訴えて闘った。そしてDNA鑑定で冤罪と証明され、無実が証明され出て来た。よかった。ところが地元の人たちは「たとえ無実でも一生刑務所においてほしい」と言う。それほど地元の人にきらわれていたのだ。

 こういう人物を警察は前から見つけておく。何か事件があれば、「こいつらだ」「こんなことをやるのはこいつらしかいない」と言って差し出す。国民も、「そうなのか」と思ってしまう。「これ以上あやしい者はいない。いたら言ってみろ」とばかり警察は言う。どうしても「あやしい人間」がいない時は「きっと外国人だろう」と発表する。世田谷一家5人殺人事件もそうだった。被害者の家族と何度か会ったことがあるが、はじめは遺族が疑われた。そして次は、外国人が犯人だ、となる。「こんな残酷な手口は日本人じゃない。きっと外国人だ」と言うのだ。日本人のプライドをくすぐっている。外国人の犯人説を受けて、「外国人の犯人に会った」という本までが出た。マスコミや一般国民はどこか納得してしまう。「そうだよね、こんな残酷なこと日本人はやらないよね」警察が言う通り外国人だろうと。 

 八王子のスーパーで女性店員が殺された事件も、「外国人だ」と言われた。「自分たちは犯人を見逃しているのではない。外国人ですでに外国に逃げたので捕まえられないのだ」と警察が弁解しているんだ。

 

 

 こうした風潮は何も警察やマスコミが独断的にやっているのではない。それもあるが、こういう〈強い国〉を求める雰囲気やムードが国民の中にあるのだ。それが恐いと思う。安倍首相が外遊している時にイスラムのテロリストに捕まっていた日本人が殺される事件があった。首相は「テロリスと取引はしない」「犯人の要求をのまない」と言って全く助けようとしなかった。その結果、日本人が殺されてしまった。「首相が殺した!」「殺人だ!」と批判が起きても当然だった。だが国民の批判は起きなかった。「テロリストに屈しなかった首相の決断だ」と保守派の新聞が書き、それを支持する人が多かった。

 

 

死刑執行に臨んだ法務大臣の苦悩

 今回のオウム事件もそうだ。麻原は悪の犯罪者であり、死刑囚だ。だから「死刑を執行するのは当然だ。法務大臣はよくやった」という声が多いのだ。どんな情況、どんな理由でも人を殺すのは反対するという人が多いと思いがちだが、それが全くないのだ。

 

 それに殺された13人のうち10人が再審請求中だった。10人は再審請求中に死刑を執行されたものだ。審議中なのでまだ裁判は終わっていない。でも殺された。

 

 又、法務大臣でもかつては、「人を殺すのはいやだから」とか「命の大切さを知ってほしい」という理屈で死刑の文書にサインしない人もいた。これは偉いと思う。しかし今、そんな気骨のある法務大臣はいない。「サインしたくないのに大臣を引き受けるな」と言われる。

 今回のオウムでは残った6人の死刑が執行されたことで上川陽子法相が執行を命じた死刑囚は計16人となった。これは執行について公表を始めた平成10年以来最高だ。それまで19年8月から340日間、法相を務めた鳩山邦男氏の13人が最も多かった。

 

「愛国心」を善悪の基準にする偽善

「慎重な上にもにも慎重な検討を重ねた上で執行を命令した」。上川氏は26日、東京・霞ヶ関の法務省で記者会見に臨み、厳しい表情で今回のの執行についてこう述べたという。6人が関与した一連の事件には「命を奪われた被害者のご遺族、一命を取り留めた方のご心情、苦しみ、悲しみは想像を絶する」と指摘した。

 上川氏は10年11月12日以降、同じ日に複数回執行したのが初とした上で今回の時期について理由を問われると「個々の死刑執行の判断に関わる事柄であり、答えは差し控える」とかわしたという。死刑執行命令は2日前の24日に堂々と署名したと明らかにした。

 2日前というと、嵐が襲い、死刑反対の抗議も来ない。この時しかないと思ったのだろう。

 刑事訴訟法で「死刑の執行は法務大臣の命令による」と定められており、執行の最終判断は法務大臣がする。10年11月以降、法相は9人で、このうち在任期間が100日以上の法相は4人いる。しかし今2人はいない。かつて江田五月氏は「悩んでいるときに執行とはならない」と命令を躊躇し続けた。しかし今こんなに迷い、悩んでいる人は一人もいない。一方、鳩山氏は26年にテレビ番組で、「倫理や宗教観などで死刑執行しない人は絶対に法務大臣になるべきではない」と語った。

 オウム事件もついこの前だ。まだまだ謎が残ってると言う人もいる。もしそれを解明し、同じようなことは必ず起こる。同じ事件は起こるのだ。でも同じ対策も出来なくなった。だったら一般人に「機会」を与えてほしい。死刑囚に面会する。だから、その時に死刑囚が自分の考えを話してもらい、一般の人が質問する機会を。それなら、人間が質問し、考えることも出来るし、これなら彼らの考えを聞ける。かつて東大、京大で麻原の講演会があった。この時、大学は許可したのだから大学が認知したと思った。それでオウムに入った人も多い。又、社会や国家のことを真剣に考えたのでオウムに入った人もいた。自分のことだけ考えてるという人間はいない。人生を深く考え、やり直ししたいと思った人ばかりだ。もし彼らが左右の運動のリーダーになったなら多くの人を動かしていただろう。

 個人的に思ったが、講演会でも麻原に会ってみたかった。話を聞いてみたかったと思う。又、早川、岡崎、中川、橋本…も会ってみたかったと思う。それほど彼らは人間として超優秀なのだろう。

 7人が執行された時「次は私が」と林さんは思っていた。残りの人が執行された今、その恐怖はさらに大きく襲ってきただろう。でも一般国民にこれを理解させることは難しい。「自分は善良で、普通の人間だ」と思っている。彼らは「悪いことをした最悪の日本人だ」と思っているだろう。多くの人は一生人を殺さない。犯罪を犯さないと思っている。その人たちだけならば、世の中は平和だ。だが、危ないことをする人がいる、一部だがそんな悪人を警察は捕まえてほしいと思っている。又、そんな一部の危険な人間は、むしろ日本から出ていってもらいたいと思っている。そこに愛国心など持ち出す。「日本人なら我国を愛するのが当然だろう」「日本人のくせに日本の悪口をいうのはおかしい」「そんな人は日本から出ていって欲しい」:と言う。愛国心を武器にして人間不信がまかり通る。

 愛国心は大切だが、国民一人一人が心の中に思っていればいいと僕は思う。それを善悪の基準にしては危ない。幸い右翼運動の中で僕は教訓を得た。愛国心を持った人間だけが偉いのではない。「愛国心」のケンカにしてはならない。

「日本に死刑がある」というのは法治国として当然のことだと政府や法務省は思っている。いや、国民の圧倒的多くがそう思っているのだ。国民の多くは一生、人を殺さず、犯罪もしないと思ってる。自分は普通の大多数の人間だと思っている。ところがほんの一部の人間だけ悪事をしている。それを取り締まってほしいと思っている。もう一つは死刑の問題だ。オウムで処刑された13人のうち10人が再審請求中だった。死刑囚に死刑の判決が出ると後は再審請求しかない。10人が再審中だったオウムもそれにすがっていた。死刑囚が助かるのはこれしかない。「現在の」死刑囚110人のうち約8割が再審を請求しているという現実こそ問題だ。

「執行引き延ばし目的で再審請求を繰り返している」と批判も出ている。今回、オウムで再審請求中の10人はそれに関係なく死刑を執行された。これで再審請求を考慮しない流れが強まるのか。

「各死刑囚の個別の事情にもよるが、再審請求中とはハードルはなくなった」

 

 これは法務省の人物が言っていた。ハードルはなくなったとして誰だっても処刑できるということだ。「13人の死刑囚が再審請求中」でも、死刑囚は処刑する。そして、死刑肯定論は大きく力を持つだろう。それは心配だ。

 

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コメント: 1
  • #1

    ogata (土曜日, 27 10月 2018 00:25)

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